「先生」から「さん」へ

今の会社に入ってから、教える相手から、「○○先生」ではなく、「○○さん」で呼ばれるようになった。

「さん」で呼ばれるようになって改めて、「先生」という言葉はわたしには少し重過ぎたのだと感じている。
わたしが「先生」と呼ばれるのに違和感を覚えるのは、初めてではない。日本語を教えるという職業を意識しだした高校2年の冬から、日本語は教えたいけど、「先生」はちょっと嫌だなあ……と思っていた。その後とりあえず日本語教育を学べる大学に入ってかじっていたけれど、進路を決める頃にまだ迷っていた。日本語を教えてみたいけど、「先生」と呼ばれたくないから、日本語の先生になるのをやめようかな……と。

ちっぽけなこだわりだ。別に先生にいじめられたことがあるとか、トラウマがあるということではない。むしろ、良い影響を受けた先生は多い。だからこそだろうか、影響を受けてきた偉大な先生と同じ「先生」で呼ばれることをむずがゆく感じるのだ。そんな大そうなことは未だ何もしてしていない、と。

大学院に入った後日本語学校で非常勤講師になり「先生」と呼ばれ始めたときも、違和感を覚えた。しかしそこは慣れ。次第に違和感を感じなくなっていた。最近は、あ、結構わたし「先生」でやっていけるじゃん、なんて思っていた。


しかし、今「先生」と呼ばれなくなって、大げさでなく、つっぱっていた何かが取れた気分だ。


どうやらわたしは「先生」と呼ばれると、感覚が固定しちゃうみたいだ。先生と呼ばれたくないということは、裏返せばわたし自身が「先生」という言葉に固定観念を持っているということである。わたしの中に「先生→学生」という一方向のイメージが根強くあるらしい。
いいとか悪いとか、「先生」と呼ばれても「先生」らしくしなければいいじゃんとかはまた別の問題。これがわたしの現状だ。

だから今の段階では、わたしは「さん」と呼ばれるほうが、同じプログラムでも自由に動ける気がしている。「さん」と呼ばれることで、上から下へ、ではなく、運命共同体として、相手とわたしがお互いに知恵を出し合い、同じ方向を見て、トレーニングを良くしていけそうだ。

わたしは先生ではなく、トレーナーになりたい。