やっぱり、好き……なのかな

わたしにとって、トレーニング(研修でも、授業でも)をするのは、とても怖いことだ。次の週にトレーニングがあると、休みの日も気がかりでしょうがない。うまくいくだろうか。相手の反応はどうだろう。分かってもらえるだろうか。分かって、できるところまで持っていけるだろうか。不安でいっぱいだ。心が重い。すればそれなりに楽しいし、今のところ相手からの評価もそんなに悪くない。でも、準備の段階の気持ちを考えると、しないで済むならしないでおきたい、というのが正直なところなのだ。
実は、ここ数ヶ月殆どトレーニングをしてこなかった。長期休暇をもらったということもあるのだが、トレーニングの外注が始まったし、自分では業務改善プロジェクトをしたり、なんやかや他のことをしていた。
そうしたら、日々の平和なことといったら。実際、ここ5年で一番楽だった。正直、もう少しこのままでいさせて欲しい、という気がしている。たまには、苦しくない生活を送らせてください、と。

ということは、やっぱり、教えるとかトレーニングとか、自分には向いていないのかな。同年代で、わたしより教えるのがうまい人をたくさん知っている。そういう人に任せておけばいい。事務とか、淡々と机の上でこなす仕事の方が、穏やかでストレスも少なくて、自分には良いのかもしれない。と、思い始めていた。

この週明けには久しぶりにトレーニング。社内の作文コンテスト入賞者への、賞品としての個別トレーニングだ。リクエストは「作文」についてで、既存のにはない内容なので、自分で一から作らなければならない(とはいえ担当分は2時間だけ)。
今日は、その内容を準備していた。求められていること、得てもらいたいこと、それを踏まえた具体的な内容などを紙に書いて詰めていった。
ある程度めどがついたので、今日はこれでおしまい。

別の本を読み始めて、はっとした。


レーニングを組み立てていた間、ここ最近で一番、いきいきしていなかった?


レーニングのない生活、とても平和だ。でも多分、自分の何かがどんどん鈍くなってしまうだろう。そして理由も分からず、打開策も見つからないまま、ずるずると日々が過ぎていくのだろう。

嫌だと思っていた、教えるということ。でも、それで自分の中の、大事な何かが死なないでいられるということは、これって、好きだ、ってことなんだろうか。あるいは向いている、ということなのだろうか。

わからない。単に、新しいことではなく、慣れ親しんだことにしがみついているだけなのかもしれない。
でも、なんとなく、宿命、みたいなものを感じてしまい、ちょっと泣いた。